切な系100のお題>004.雨


 私は下駄箱の前で、激しい雨音を背に呆然としていた。
 確かに昼を過ぎた辺りから雲行きが怪しかった。だけど、小雨程度なら走って帰られるだろうと高を括っていたら、いわゆる、バケツをひっくり返したかのような大降り。さすがにこれでは無理だ。
 傘はもちろん持ってきていない。だからと言って、雨が止むのを待っててもいつになることか分からない。家族は留守で、迎えはまず期待出来ない。誰かの傘に入れてもらえることを期待して、待ち伏せをしてみることにした。


 降る雨を見て愕然として、しばらく様子を見て、止まない雨に失意して、意を決して走っていく。そんな一連の流れを何組か見送った。誰も傘は持っていないようだ。朝はあんなに晴れていたから。
 これでは待っていても無駄だろう。私も止まない雨に失意を覚えかけていた。制服が濡れると困るけど、仕方ない。ブレザーを脱いで、それを頭から被ってちょっとでも防御して。今こそ踏み出さんとしていた時。

さん?」

 聞き覚えのある声に振り向くと、そこに居たのは同じクラスの小早川瀬那くん。不恰好な姿を見られたことが少し気恥ずかしくて、いつもより変にテンションが上がる。
「ハロー、小早川くん。」
「もしかして、傘…」
「忘れちゃってねー。小早川くんは傘持ってるの?」
「あ、うん。」
 そう言って彼が鞄から取り出したのは、紺色の折り畳み傘。一瞬、私は物欲しそうな顔をしていたと思う。慌てて表情を正して、ブレザーを羽織りなおして。この機を逃す手はない。入れてもらおうと言葉を選んでいる時、小早川くんはいつものように、少し控えめに私の顔をチラチラと見て、
「傘、貸そうか?」

 驚いて、咄嗟に声が出なかった。まさかそんなことを言われるとは思わなかったから。
「さすがにそれは結構です。」
 思わず何らかの期待はしていたということを露呈させてしまったのだけど、小早川くんはその手に握られた傘を尚も私に差し出して、
さん濡れちゃうから…」
「小早川くんも濡れちゃうでしょうが。」
「僕はいいよ。」
 なんて自己犠牲的精神。噂では彼は小中学校時代にパシらされていたと聞く。もしかしてその頃の癖のようなものなのだろうか。ということは彼の中で私は恐れの対象だということ?それはあんまりだ。仮にもクラスメイトのか弱い乙女を。
 だけど、それは怯えている表情ではなくて。確かに困ったように眉根は寄せているけれど、決して私が恐いわけではないようで。
 彼の本意が知りたくなって、私は何か話題を探す。
「…でもその傘、まもりさんのじゃないの?」
「えっ、まもり姉ちゃん!?」
 しきりに狼狽している。そんなに驚かなくてもいいだろうに。
「だ、大丈夫。これはちゃんと僕の傘だよ。」
 さっきよりも困った顔をしてそう言う小早川くん。その顔を見ると、ちょっとだけ罪悪感のようなものを覚えた。彼がいいと言うなら、借りた方がいいのかもしれない。私が悩み込んでいると、
「僕は走って帰るから。そ、その…走りたい気分っていうか…」
 そう言って顔を俯かせた。雨が降ってるのに走りたい気分なんて、そんなことがあるのだろうか?
「…濡れたいの?」
「えっ、濡れたいわけは…ないっていうか…」
 何を聞いても困った顔で返答をする。一体何なんだろう?
「あ、まもりさんの傘に入れてもらうって方法があるんだ。」
 忘れていた。確かまもりさんは委員会の仕事でまだ学校にいるはずだし。
「そ、そんなことしないよ!」
 小早川くんは慌てて否定した。彼は、まもりさんの事になるとムキになる。それが何だか羨ましかった。それほど慕われているまもりさんが羨ましくて。仲がいいふたりが羨ましくて。
 だからちょっと、意地悪してしまったのかもしれない。格好悪い私。
「ごめんね。変なこと言って。」
「そ、そんなこと…」
 沈黙。雨音が響く。
「…あ、今がチャンスかも。私、走って帰るね。」
 さっきより、ほんの少しだけ弱まった雨脚を見て、私はわざとらしくそう言った。チャンスでもなんでもない、タイミングなんて悪いばかり。だけど私はこの場から逃げ去りたくて、不自然なのは承知の上でそう告げた。
「ちょっと待って、濡れちゃうって!」
 今にも飛び出して行きかねない勢いだったからか、小早川くんは私の手首を掴んで制止した。そんなことをした彼に、私はビックリして。彼もまた、そんなことをした自分にビックリして。
 ぱっと手を離して、ふたりで俯く。

「あ、あの、ホントに…遠慮しなくていいから。じゃあ…!」
 私に半ば無理矢理傘を手渡して、今度は彼が飛び出そうとした。私はそれを見て慌ててしまって、言葉を選ぶことも忘れて叫んだ。

「こ、小早川くん、一緒に入って帰ろう!」

 馬鹿なことを言ったと思った。耳まで赤くなったのが自分でも分かった。
 その時既に彼は雨の中にいた。だけど雨に打たれる身は顧みずに、私の言葉に足を止めた。そして、私に背を向けたまま、
「そ、そんなこと…できないよ…」
 と、小さく呟いて、私の言葉を振り切るように走り出した。

 私は夢中だった。折角借りた傘を差そうともせず、頭の中は空っぽで、ただ遠ざかる小早川くんの背中が嫌で。嫌で。嫌で。ただそれだけで、近づきたくて背を追って走った。
 私が水溜まりを蹴る音に気付いて、小早川くんは立ち止まる。私は小早川くんの背に追いついて、シャツをぎゅっと握って。驚いた顔の彼をよそ目に、強く、離さないように握って。
「も、もう濡れちゃったから…傘返すね。」
 苦笑いしか浮かばなかった。馬鹿で馬鹿で涙が出そうだ。自分に対する激しい嫌悪感。
「まだ間に合うよ…多分。」
 そう言って小早川くんは、傘を広げて私に差し掛けてくれた。いつも見下ろすくらいの背丈の彼が、私の為に腕を精一杯伸ばして傘を持ってくれているのが、何だかすごく嬉しくて。彼の好意に甘んじていた。
 やっと微笑むことが出来た私を見て、小早川くんは初めて私に笑いかけて。
「傘…返してくれるなら、家まで送るよ。」
 と、嬉しそうに言ってくれた。

 どうやら、私のこと恐いわけではないみたい。それだけ分かれば充分かな。
 今は彼の優しさに甘えよう。
 肩を並べて歩けることを雨に感謝して。
 折り畳み傘の狭さに感謝して。







 セナドリームってあまり見掛けないのですが…っていうか、見たことないのですが、どうなんでしょう?ALLキャラで出演はあるんですけどね。むぅ。
言葉の真意を読み取るのは難しいですね。「しない」と「できない」の違い。
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