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切な系100のお題>005.卒業 |
どうやら昨夜は机に突っ伏して寝ていたようだ。仕事が溜まっていたとかなら格好もつくだろうが、大抵はしょうもないことでこんなことをやらかしてしまう。机に山積みにされた漫画雑誌がその証拠というわけか。 「ん〜ん〜ん〜♪」 奥からピノコの鼻歌が聞こえる。今日はいつにも増して機嫌が良さそうだ。ブラック・ジャックは椅子から立ちあがって背伸びをすると、あくびをしながら声のする方へ向かった。 「ん〜ん〜♪」 辿り着いたのは、鏡台に向かって熱心に髪を梳かしているピノコの背だった。 「おはよう、ピノコ…」 「先生、もうお昼ちゅぎてるよのさ。」 「今日は何かあったか?めかし込んでいるようだが。」 ブラック・ジャックがそう言ったのを聞いて、待ってましたと言わんばかりに向き直った。 「ピノコ、卒業式にれたいのよさ。」 「卒業式?」 なるほど、確かに卒業シーズンではある。 「また何に感化されたんだ?」 「ドラマれ見たの。ピノコもせちゅない別れれ涙を流ちてみたいのよさ!」 「…切ない別れなぁ…」 遠い目をして聞き流すブラック・ジャックに、ピノコは食い下がる。 「ねー、先生!ピノコ学校に行って卒業式にれたい!」 「万が一今から学校に行けても、卒業まで一体何年かかると思ってんだ。」 「ピノコだったや、飛び級れピョ〜ンって卒業れきゆもん!」 「卒園でさえ難しいというのにおまえは…」 半ば呆れてため息をつく。ピノコは本気で言っているようだ。それにまた弱り果ててしまう。毎度ピノコの思いつきには困らされるものだった。 「ねー、いいれちょ?先生。ピノコの卒業式に来たら先生も泣いていいから!」 「私がピノコの卒業式に出るのか?」 「らんなたんとちては、おくたんの晴れ姿は見なきゃいけないれちょ?」 「どちらかと言えば、そういうのは保護者の役目だと思うがなぁ…」 ぽつりと言った言葉も、今日のピノコの耳には届いていないようだ。ウキウキと身なりを整えている。 「ああ、早く卒業ちたいよのさ。卒業式にはピンクのロレス来ていくかやね!」 「ピンクのドレスなんて持ってないだろう?」 「そういうのはらんなたんがおくたんのために買ってあげゆものれちょ!」 「…どこまで明確な計画が立ってるんだ…いつものピンクのスカートでいいじゃないか。」 「あ〜ん!先生はおとめごこよが分かってないよのさ!一生に一度の卒業式なのに、いちゅものチュカートなんて!」 「あれだって私がプレゼントしたものじゃないか。」 「も〜!男はそーやって話をちゅりかえゆんらかや!」 そうやって頬を膨らませてプリプリ怒るピノコが可愛らしくて、ブラック・ジャックは微笑んだ。 「分かった分かった、それじゃあ卒業式をしようじゃないか。」 「ええ!?」 「したかったんじゃないのか?」 「れきゆの?」 「ああ、何も学校だけじゃない。何かを卒業すればいくらでも卒業式なんて出来るさ。」 「ピンクのロレスも着れゆの?」 「…今日は間に合わないから、我慢しろ。そんな大事な計画は、学校の卒業式まで取っておくといい。」 論点のすり替えである。ピノコはそれでもいいと頷いた。 「ただし、ピノコは何かを卒業しなくてはならないんだ。」 「なんらっていいよのさ!」 「一生それを卒業するんだぞ?」 「卒業式のためなら、いいよのさ。」 その答えを聞いて、ブラック・ジャックは考え込んだ。そして、ふと思い出す。 「そういえば、ピノコは『切ない別れで涙を流したい』と言っていたな。」 「ちょーよ、ドラマれ見たのはたくさんのお友達と、おちぇわになった先生との切ない別れれ…」 ハッとなってピノコが口を噤んだ。そして、その丸く大きな瞳でブラック・ジャックの目を覗き込む。何も言わずにピノコを見つめ返すブラック・ジャックに、ピノコは頭を過ぎった考えを振り払うように頭を何度も振った。 「ちょうどいいじゃないか。」 「ら、らめよ!先生はらめ!」 「どうした?卒業式をしたいんじゃないのか?」 そう言われると、ピノコは黙り込んでうつむく。 「らって、先生は…先生は先生らけど、ピノコのらんなたんなんらかや!」 「卒業式をしてやろうと言うのに、おかしなやつだな。」 「…先生、ピノコと別れても寂しくないの?一生ピノコに会えなくても…」 「……」 ブラック・ジャックはその問いに答えを返さずに、黙ってピノコを見つめ返す。 「先生はピノコのこと、邪魔なのね…」 「……」 「ピノコ、いっちゅも先生のこと困らせてばかいらかや、先生愛想ちゅいちゃったのよさ。」 ポロポロと大きな瞳から涙が零れ落ちる。 「ピノコ、先生のこと…らいちゅきらかや…先生がピノコのこといやないなや…」 ピノコはもうブラック・ジャックの顔が見れなかった。うつむいてただ流れ落ちる涙ばかり見つめていた。震える指と、激しい動悸と、心成しか自分を締めつける頭痛に耐えながら。 「満足したか?」 「…!?」 顔を上げると、ブラック・ジャックは顔色ひとつ変えずにそこに居た。 「『切ない別れで涙を流す』…おまえが望んだ通りだろう?」 「…ッ…」 しゃくりあげるせいで、喋れない。ただ、首を横に振って否定する。 「…ピノコッ…こんなの…い…や…っ」 「そうだ。卒業式なんていいもんじゃないだろう?」 その言葉に、ピノコは何度も頷く。 「寂しくて切ない別れなんて、本当に訪れた時に涙を流せばいいんだ。自分から望むなんて、馬鹿げてると思わないか?」 そう言って、ブラック・ジャックはピノコの頭を撫でた。 「ピノコ、先生と別れたくないんらかや…もう卒業式なんてしたくない…」 「ああ。」 その優しい声を聞いて、更にピノコは泣きじゃくる。腕を伸ばしてしがみついてくるピノコの小さな体を、ブラック・ジャックは何も言わずに抱き締めた。 「ピノコ、いい加減腹が減ったんだが…」 「あっ、先生さっき起きたばっかいらかや…」 「昼飯作ってくれないか?」 「ちょっと待ってて、いますぐ作ゆかや!」 抱かれていた腕から滑り降りて、慌てて台所へと駆けていくピノコの姿を、ブラック・ジャックは目を細めて眺めていた。 いつか来る本当の卒業式に、自分はピノコの姿を見て泣くのだろうか。 そんなことを思いながら、ゆっくりとピノコの後をついて行くのだった。 |