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切な系100のお題>007.病室 |
包囲された世界の白を眩しく照らす、晴れた空に浮かぶ太陽。反射した光が瞼の裏に焼き付いて離れない。四角い窓の囲いの間を雲は飄々と流れていく。体を思うように動かせない自分を嘲笑うかのように。焼き付いた光の痕を、頭を振って払うことさえ出来ない。静かに目を瞑ってやり過ごすしか。目を瞑っても見える焼き付きは、どぎついピンクやグリーンの色から、見る見るうちにくすんだヘドロのような色に変わっていく。自分にしか見えないそれ。目を瞑っても逃げられない、それ。 それはまるで彼の気持ちのようだった。黙って病室に押し込められている、今の…。いや、普段から彼の気持ちはこのヘドロのような色に染まっていた。 いつから? いつのまに? 自問しても答えは出ない。いや、意味がないことだと分かっているから、敢えてそれ以上は考えを及ばせなかったのだ。もしもその答えが出たとしても、彼はやり直すことも、そのつもりもないのだから。 次々に運び込まれてくる、怪我人達の手当てに追われる白い服を着た人の波。まさに波だ。行ったり来たりの繰り返しが、寄せては返す波のよう。そんな周りの喧騒が今は妙に心地いい。 彼の頭の中は妙にスッキリとしていて、見るもの全てが『こんなに鮮やかな色をしていただろうか?』というほどシャープに見えていた。 それがあまりいい傾向でないことは分かっていた。機械なんぞと一緒くたにするのは嫌なのだが、壊れる前の電気製品なんかは、決まって異常な働きを見せてから動きを止める。ボタンを押してもないのに動いたり、冷蔵庫なんて無駄に物を凍らせてくれる。まさしくその兆候だった。彼の細胞ひとつひとつは、最後の力を振り絞って動き巡っているに違いない。 胸に走るこの痛みは外傷のせいか、それとも傷付けられたプライドが軋んでいるのか。熱い。焼けるように。喉を焼いて這い上がってくるそれを、堪らずに吐き出した。 真っ白な世界に、赤が飛び散る。 手と、寝具をしとどに濡らした自分の血を見て、彼は確信した。 顔をしかめて歯を食いしばり、体全体で息をしている姿は、彼以外には痛みに喘いでいるように見えただろう。だが、そうではなかった。白いシーツを赤く染めながら、腕を突いてなんとか起き上がろうと喘ぐ彼は、痛みなどよりももっと強い思いが体中を駆け巡っていた。 戦場へ、行かなくては。 彼は傷付けられたプライドに嘆き、そして黙って静養させておくなんて出来るような人間ではないのだ。自分の手で取り戻さなくては死んでも死にきれない。彼の中にはそんな使命が湧き出でていた。 しかし、これまでは何としても実行したであろうに、体に力が入らない。血を流しすぎたのか、それとも怖気づいたのか。自分に限ってそんなことはないと自負する傍ら、それを疑う心が生まれているのも確かだった。 突っ張った腕にこれ以上力が入らない。指先が震え、それが次第に体を侵食していく。堪らずに倒れ込んで、震えを抑えようと肘を抱え込む。 周りの音が聞こえる。それは不思議なほど個々の音として脳に届く。痛みに喘ぐ怪我人、誰かを名前をひたすら呼ぶ身内、薬品名を叫ぶ医者。金属の触れる音、車輪が床を滑る音、騒々しい足音、シーツを換える衣擦れの音まで鮮明に聞こえる。そんな自分にうすら気味の悪いものさえ覚えた。 そんな中、真っ直ぐに彼に近づいてくる足音があった。聞き覚えのある、ブランコを漕ぐような、キィ、キィという微かな高音。その音を聞いた途端、震えは止まった。額に滲んだ脂汗を、気付かれないように腕で拭い、丁度傍らで止まった足音の主に顔を向けた。 思い描いていた姿と寸分違わぬ者がそこにいた。ただ、違ったのはその者を包む表情だけであった。 「小鳥、いなくなっちゃったの。」 彼女は、彼の顔を見るなり箍が外れたように泣きじゃくりだした。この少女は、彼が以前小鳥をプレゼントした子だった。なるほど、言う通り右手に下げた鳥かごの中は空っぽであった。彼は少し困ったように眉を下げると、優しく笑った。 戦場へ、行かなくては。 先ほどとは違う理由で、彼は立ち上がる力を得た。その力をくれた、彼女に感謝して。彼は病室を後にするのだった。 |
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