切な系100のお題>011.この命と引き換えに


 ピノコは後悔していた。
 彼女は今、ところどころ鉄筋が剥き出しになったコンクリ壁の一室に、荒縄で縛られて座らされている。老朽化して壁が剥がれているわけではなく、どうやら工事が中断された場所のようだ。室内には男が二人。電話の近くをそわそわ歩き回っている神経質なのと、ピノコの隣でナイフを磨いているの。素手で刃を触りながら磨いているから、そりゃあいつまでたってもキレイにならないだろう。あともうひとり、押しの弱そうな男がじゃんけんで後出しされて負け、寒空の下見張りをしに行った。
 いわゆる誘拐というやつだ。身代金狙いらしく、さっき神経質男がBJの元へ電話を入れていた。ピノコが後悔しているのは誘拐されてBJに迷惑がかかるからではなく、こんな間抜けそうな三人にまんまと攫われてしまった自分の愚かさを悔やんでいるのだった。

「すぐ先生が来てくえゆよのさ」
「さあな、金さえ持ってきてくれりゃどっちでもいい」
 もっともらしくナイフ男が言うと、神経質男が同調するようにけらけら笑った。
「らかや、お金持ってくゆって言ってんのよさ。分かやない人達らわね」
 ピノコが呆れたように呟いた時、電話が鳴り響いた。神経質男が待ってましたとばかりにワンコールで受話器に飛びつく。
「はい、田崎…いや、クラウドだ」
「へえ、あんた田崎ってゆーのね」
 慌て過ぎてつい本名を口走ってしまったようだ。電話の相手はBJらしい。
「金は用意したぞ」
「本当かい、先生よ。間違えなさんなよ、6億円プラス所得税分。それとこの娘の命とを引き換えだ」
「ああ。しかしおまえさん、随分と細かいな。身代金から所得税を払う誘拐犯ってのも聞いたことがないがね」
「…そ、そうなのか?」
 途端に気弱になる神経質男。ナイフ男がナイフを拭く手を止めて恥ずかしそうに吐き捨てる。
「だから俺はいらないって言っただろ!」
「でもよう、柴田…」
「…で、この人は柴田。おじちゃん達、誘拐向いてないわのよ」
 呆れかえってピノコは大きなため息をついた。電話口のBJもこの間の抜けた犯人相手では調子が狂うようだ。
「とにかく、そちらに金を持っていけばピノコは無事に帰ると約束してもらえるんだな?」
 その言葉に、ナイフ男と低次元な言い争いをしていた神経質男がはたとなり、なるべく冷静な口調を作って、
「ああ、約束しよう」
 とニヤケながら答えた。きっと目の前には札束が浮かんでいたことだろう。
 電話を切ると、二人は抱き合ったり部屋中転げ回ったりして目前に控えた成功を喜び合っていた。傍らで、すっかり緩んで解けた荒縄をつまみ上げて、複雑な顔をしているピノコに毛ほども気付かずに。


 BJが隠れ家の辺りをうろうろしているのを見て、見張りをしていた男はたまげた。どうやって居場所を突き止めたのか。これは一大事と慌てて階段を駆け降りて地下のアジトの二人に知らせに急いだ。
「おい、外にBJが…ギャー!!」
 扉を開けるなり、気弱男は更にたまげて声を上げた。そこでは二人が祝杯用の酒や料理で一足先に騒いでいたからだ。しかも、人質であるはずのピノコも混ざってジュースをぐびぐびとやっていた。
「おう、先生がようやく来なすったか!」
「あがってもらえ!」
 へべれけ良い気分な二人は豪快に笑った。
「…え?金を届けてもらうためにアジトの場所を教えた…?」
 ポカンと気弱男が聞き返すと、二人はおうよと答えてまた楽しげに笑った。気弱男の中で何かが切れた音がした。

「馬鹿かてめぇーらァッ!!」
 気弱男の怒号が鉄筋にじんじんと響いた。いつも大人しい彼の初めて見る姿に、二人は固まった。
「しかも電話代がもったいないから折り返し電話してもらうために電話番号も教えただと?これから億を掴もうってぇ誘拐犯が何をみみっちいこと抜かしてやがる!それじゃあ警察呼んで下さいって言ってるようなもんじゃねえかこのド低脳がァァ!!」
 ワンブレスで怒鳴り散らした気弱男に、すっかり酔いも醒めて縮こまっている二人。ピノコは不謹慎ながら感心していた。
「誘拐犯とちては一番まともな言い分よのさ」
「嬢ちゃん、こうなったらてめえの命を楯に、逃げさせてもらうぜ」
「アッチョンブリケ!ピノコがあんたにちょんなことちてあげゆ理由がないよのさ!」
 気弱男はぎゃあぎゃあ騒ぐピノコの吊りスカートのベルトを掴み上げ、右手にナイフ男のナイフを握った。
 それにただならぬものを感じ、神経質男が慌てて止めに入る。
「や、やめろよ高橋!俺達は人殺しをするためじゃ──」
「うるせえ!」
 ナイフが一閃、神経質男の腹を掠めた。
「きゃっ!」
 ピノコは思わず目を覆った。辺りに鉄筋のそれとは違う鉄のにおいが飛び散った。
「やめろ、高橋!取り返しがつかなくなるぞ!!」
 ナイフ男が高橋に飛び掛かる。その拍子に投げ出されたピノコの目に飛び込んできたのは、床に横たわって動かない神経質男と血溜まり。
 背後でぎゃっと短く唸るナイフ男の声。それに振り返ると、ピノコを庇うようにしてナイフ男が倒れ掛かってきた。
 なおも高橋はナイフを握り締めてピノコに手を伸ばしてきた。仲間であったナイフ男の横腹を蹴飛ばし、ピノコの襟足をむんずと掴む。
「あんた、人間とちてはまともじゃないよのさ!この二人の方がよっぽろ──!」
 高橋の耳にはその言葉も届いていないようだった。正気の沙汰ではない目つきにピノコは背筋に寒いものを感じた。
 殺されるかもしれない。そう思った時、ピノコは力の限りに叫んでいた。
「ちぇ、先生!先生ーっ!!」
 チッと舌打ちをして高橋がピノコの口を塞ぐ。それと同時に、地下室に一筋の光が射した。

 光だと思ったのは、BJの放ったメスだった。それは高橋の喉を目掛けて一直線に飛んで来た。それが喉に突き立った瞬間、高橋は何が起きたか理解する間も無く、ぐえっと蛙のように一声上げてその場に倒れ込んだ。
 からがら魔の手を逃れたピノコは、ドアの前で高橋を睨んでいるBJの元へ慌てて駆け寄った。
「先生…!」
「大丈夫か?」
「ピノコは平気。先生、あの二人助けてあげて…!」
 ピノコが指差した先には、神経質男とナイフ男が倒れていた。BJはそれを一瞥して眉間に皺を寄せて聞き返した。
「おまえを攫った男達だぞ?」
「れも、あの二人はピノコを助けようとちて、あのキエた男にやらえたの!お願い…!」
 まだ恐怖に震えているピノコが、BJのコートを握り締めて懇願する。BJは二人の元に歩み寄り、軽く傷跡を診た。一人は腹部を横に10cmほど、もう一人は横腹を刺されている。
「…おまえを助けるために、命をかけたというのか?」
 ピノコは無言で頷いた。BJはそれ以上は何も聞かず、持っていた鞄から手術用具を並べ始めた。
「ピノコ、手伝えるな?」
「もちよん!」
 ピノコ顔がぱっと明るくなった。

「そっちの切り傷の男は傷が浅い。止血だけしておいた。だが、こちらの刺された男は…刃が内臓まで届いている可能性が高い」
「助かゆの…?」
 切開を始めたBJの顔を心配そうに覗き込むピノコ。BJは表情を崩さずに答える。
「心配ない。手向きが悪かったんだろう、比較的傷は浅いようだ」
 その言葉に安堵して、ピノコは呟く。
「良かったよのね…おじちゃん達」
 二人の応急処置を終えたBJは、すっくと立ち上がって今度は高橋の傍に座った。高橋は痛みと息苦しさに朦朧としながらも、BJを睨みつけた。
「そいつも治しちゃうの?」
 嫌そうに言うピノコに、BJは手を動かしながら然も当然のように言った。
「ああ。しかし全員治療代は頂くぞ」
「アッチョンブリケ!」
「全員合わせて6億と所得税分。だが、あっちの二人は命に換えてピノコを守ろうとした恩がある。だからチャラにしておこう。こいつはピノコの命に換えて我が身を守ろうとした。金はいらんが警察に行ってもらおうか」
 高橋は必死で何か訴えるが、空気の漏れる音がするのみで声は出ない。
「命の重みってやつを思い知るんだな」







 元々はストックホルム・シンドローム(人質などになった被害者が犯人に対して好意を持ってしまうこと)ネタを書こうと思った話ですが、こういった形になりました。随所にちょっと名残があるかも?
ちなみに犯人達の苗字は適当です。もっと捻れよ。
BACK