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切な系100のお題>015.ゆびさき |
「へぇ、おねーさんってやっぱり手品師なんだ。」 河原に並んで座り、片やコーンポタージュ、片や(買い直した)コーラをすする二人。 「そう…超天才売れっ子美人マジシャンとして奇術界では有名なんだ。」 「ふーん、スゲー。」 横で目を輝かせて話を聞いている少年は、さっき『クソガキ』と思ったことが嘘のように可愛らしかった。話してみると意外と気が合うものだ。久しぶりに一般人と話せるのが山田は嬉しかった。いつも怪しい人ばかりに囲まれるから、少し疲れていたのだと思う。 「手品師ってさ、貧乏なの?」 その直球な質問に、山田はコーンポタージュを豪快に吹き出しそうになった。咽ながら慌てて否定する。 「そっ、そんなことはない!私は売れに売れて困りまくるほど売れてて、お金だって腐るほどあるけど……まあ、マジシャンは奇術の道具を買うにしても作るにしても、お金が掛かるから…その。」 「そっか〜。大変だな。」 「そう、大変なんだ。」 小さく呟いて、寂しそうにうつむく山田。だが、ぱっと頭を上げて聞く。 「そ、そうだ。業は?」 「ん?」 「業は、何かやってないのか?学校とか…ホラ、クラブとかあるだろ?」 「オレ?学校じゃ何もやってないよ。」 「そうなんだ。」 「うん。そうなんだ。」 そう言い合って、ほんの少し赤らみ始めた空を二人で見上げる。しばらくの沈黙の後、山田が口を開く。 「学校楽しい?」 「行った時はね。あんまり行かないから。」 「楽しいなら行けばいいのに。給食も出るし…」 「そーだよなー。」 業はへへッと笑って立ち上がり、川辺に向かって歩き出した。光る水面のきらめきに、吸い込まれて消えてしまいそうなその後ろ姿を、山田はただ見つめていた。 どこからか枝を拾ってきて、地面に何やら書いている。書きながら業は山田に問う。 「ねぇ、おねーさん。」 「なんだ?」 「手品って大変でしょ?」 明るく聞いてきた。山田も、明るく答える。 「そうだな、結構大変かな。」 「練習とかしてるの?」 「一応、毎日。」 毎日お休みのようなものだから、と心の中で小さく呟いた。 「毎日やってるんだ〜。偉いね。」 「やっぱり毎日やらなきゃ、勘が鈍っちゃうからな。」 「そうだよね。」 「そうそう。」 えへへ、と山田は笑って誤魔化した。 そこで初めてハッキリと会話が途切れた。だけど、その『間』は話すことが尽きたわけではなくて、業が話すことを躊躇っているからのようだった。何か言いたげだけど、ただ地面を枝で引っ掻いている業を、山田は何も言わずに待っていた。 「…オレ、思ったんだ。」 と、業は枝を捨ててようやく口を開いた。業の投げ掛けに山田は小首を傾げて応えた。それを見て、業は少し照れくさそうに言った。 「おねーさんの指、キレイだなって。」 言われて、山田は自分の指を見つめた。白く、細い指。 「…そう、か?」 「うん。」 「マジシャンは指先を見られる仕事だからかな…爪なんかは磨いてるけど。」 「オレなんか指先ボロボロ。」 言いながら業は駆け寄って来て、手を差し出した。山田はその指をそっと触れ、眺める。 「爪、割れてるな…」 「だろ?それに比べておねーさんの指、スゲーキレイ。」 山田は普段言われ慣れていないその言葉を、素直に嬉しいと感じていた。照れ笑いを浮かべつつも平静を装い、 「指だけキレイって言われても、あまり嬉しくないぞ。」 と強がる。 「髪もキレイだよね。」 「…」 「あと、目もキレイ。」 「どうしてパーツだけ褒めるんだ、バカッ!」 耳まで真っ赤になって、業の頭を軽く小突いた。トドメにチョークスリーパーも掛けておいた。業は楽しそうにけらけらと笑っている。 「おねーさん面白いね。」 「…どーも。」 と言いつつもまだ手は離していない。 「オレ、ホントのおねーさんが出来たみたい。」 山田は、自分も本当の弟が出来たみたいだと思っていた。だけど、喉まで出て来ていた言葉を敢えて飲み込んだ。 「ねえ、また会おうね。」 「…そうだな…でも、私はこれから毎日国内外を飛び回る生活が続くから、会えるか分からないぞ。」 「でも、また会おうよ。」 「…オフが出来たら、な。」 「うん。」 業は嬉しそうに笑った。いつしか山田は、業の体を強く抱き締めていた。まだ子どもの柔らかい髪と細い体を、目を閉じて感じていた。そして業もまた、頬にかかる山田の柔らかい髪を心地良く感じていた。 「…ねえ、おねーさん。もし、手品してて挫けそうになったらさ。」 それを言うなら本当の自分は挫けっぱなしだ。本当は売れもしない、三流マジシャンなのだから。自分のプライドのために業に嘘をついていることが、少し心苦しくなった。でも、それを表面には出さないように、静かに何?とだけ聞き返した。 「もし挫けそうになったら、思い出してよ。今日自販機で当たり出したこと。」 「どうして?」 「だって、指先で奇跡生んだんだよ?それって手品と一緒でしょ?あの時あんなに簡単に出来たんだから、ちょっと本気出せばワケないんだって思えるよ。」 「…そうか…」 フフッと笑って、業の頭を撫でた。 気が付くと、空がすっかり赤く染まっていた。業は肌寒さに身を縮めながら立ち上がり、飲み終えたコーラの缶をくずかごに投げ込んだ。 「じゃ、そろそろオレ帰るね。」 「うん、早く帰らなきゃ、お母さんに怒られるな。」 山田も後を追うように立ち上がり、お尻をパタパタとはたきながら言った。 「…じゃあ、また、ね。おねーさん。」 ひらひらと手を振って、業は駆け出した。 「バイバイ。」 山田もその後ろ姿に手を振って見送った。だけど、そこからなかなか立ち去れなかった。またその場に腰を降ろし、一人で寂しく、川を見つめていた。 ふと思い出して山田は川辺へ歩き出した。業がさきほど何かを書いていた場所まで来て、しゃがみ込む。 「…これ…」 「You!何をしているんだ?」 重なるように上げられた声に、山田は振り向いた。 「…上田さん!」 そこには腐れ縁・上田次郎が立っていた。山田がそう言ったかと思うと、上田は矢継ぎ早に話し始めた。 「そんな場所に座り込んで…落とし物か?はは〜ん、誰かが落とした小銭でも探しているんだな?」 「上田さん、いいところに来てくれました!」 腕をバシバシと叩きながら言うその姿は、傍から見ればとても喜んでいるようには見えない。しかしいつも顔を合わせる度に『またか』だの、『なんでここに?』だのと言われ続けている上田にとって、自分が来たことで山田が嬉しそうにしていたことが驚きだった。 「な、なんだ?」 「これ、見て下さい。」 指し示したのはさきほど業が書いていたもの。上田は一見してサラリと言う。 「五線譜に音符の羅列…楽譜だな。」 「いや、それは分かるから。」 「どうしたんだ、これが。」 「この曲が何か分かりますか?」 「You、馬鹿にするなよ。確かに私は科学の申し子、上田次郎だ。科学畑の人間だがその他の知識にしても他の追随を許さない。君とは違ってな。有り余るセンスを持つ私は芸術をも深く理解し愛しているのだから―」 「いいから早く答えろ!」 ズビシと上田の額にチョップをかますと、上田はフフフ、と不敵に笑った。 「You、分からないのか?これはかの名曲、オリーブの首飾りだ。」 「カリブーの筋違い?」 「おい!」 「オリーブの首飾りって、あれですよね?チャラララララ〜♪」 「分かってるんじゃないか。そう、手品といえばオリーブの首飾り。だからこれはYouが書いたのかと思ったぞ。こんなマニアックな選曲、手品師くらいでないとそうそうしないだろうしな。まあ、Youに楽譜が書けるとは思えないが―…」 「うるさい上田!落ちろ!」 ズビシ、と上田の喉元にチョップをかます。そして、倒れて痛みにのた打ち回っている上田を尻目に、山田は思慮を巡らしていた。この譜面がオリーブの首飾りだというのなら、業があの時あの間に書いたということだ。メロディラインだけではなく、伴奏部分まで書き込まれたこの楽譜を、あの業が書いたというのは俄かには信じ難かった。 「ユ、You、随分と攻撃的じゃないか…何か嫌なことでもあったか…?」 言いつつもまだ地面で蠢いている。 「ありません。それにしても、なんで楽譜なんて読めるんだ、上田。」 その問いに、上田は倒れたまま自信ありげに笑った。 「フフフ、このくらいのことは教養として身に付いている。Youも少しは教養を身に付けたらどうだ?楽譜といえば私は先日久しぶりに来日した、天才ピアニストのコンサートに行ってきたぞ。」 「…へぇ。」 山田の顔には『興味ない』と書かれていた。上田はやっと起き上がり、いつもの調子で話し始めた。 「Youには彼の爪の垢を飲ませてやりたいね。」 「余計なお世話です。」 「また来日した時はYouも誘ってやろうか?」 「だから余計なお世話ですってば。」 「確か近日中に日本を発って、次はロスが舞台だそうだ。どうだ?売れない手品師のYouには真似出来ないだろう。やはり才能のある人間は違うな。そうだ、確かここにパンフレットがあったはずだからYouに進呈しよう。」 人の話を聞かずにバッグを漁り始めた上田に、山田はまたか、と頭を抱えた。 「上田さん、亀とハムスターがお腹空かせてますから、私帰ります。」 「まあ待て。どうだ、天才少年ピアニスト、羯磨 業!」 パンフレットを山田の鼻先に突きつけて言う。山田は始めぽかんとしていたが、次の瞬間、血相を変えてそのパンフレットを上田の手から毟り取った。上田はようやく魅力に気付いたか、とでも言いたげに満足げに微笑んでいた。 「カツマ、ゴウ?」 「そうだ。小学生にして天才的なピアノを演奏する、天才ピアニスト、羯磨 業。You、知らないのか?メディアじゃ大騒ぎだぞ。Youとは違ってな。」 まさか、そんな。でも、確かに。パンフレットの表紙で笑っている少年は、スーツ姿のせいか先ほどまで話していたそれよりも大人びて見えたが、確かにあの業だった。 「上田さん、この子いつまで日本に居るんですか?」 「パンフレットに書いてないか?ええと…ロス公演が明後日だから、今日にでも日本を発つんじゃないか?」 「…いつ帰ってくるんですか?」 「さあ、多忙だからそれは分からないな。なんだ?You、そんなに興味が湧いたのか?よしよし、もしも来日したらその時は連れていってやろう。」 上田の後半の台詞は耳に入っていなかった。それだけではない。周りの音も、色も、何もかも感じられなくなっていた。パンフレットを手に、世界に孤立したような感覚だった。 『忙しくて会えないかもしれない』のは、自分ではなくて業の方だった。それなのに業は、『必ず会おう』と笑った。それだけ有名なのに、そんなことおくびにも出さずに、そして鼻に掛けずに。自分は精一杯の虚勢を張って、ばれていたであろう嘘ばかり言っていたのに。山田は自分が恥ずかしくなった。 「―You?どうした?」 上田の声が山田を現実に引き戻した。 「上田さん、私、馬鹿ですよね…」 「はっはっは、大丈夫だ。これまでは少し教養が足りなかっただけだ、これから少しずつ身に付けていけばYouでも何とかなるかもしれないぞ。いや、もちろん“かも”、“if”であって、可能性はあるという次元の話だがな。」 「業が、本人が一番会えないって分かってるのに、私…馬鹿みたいだ。」 「…?」 泣き出しそうな顔の山田を見て、上田はようやく様子がおかしいことに気が付いた。パンフレットを抱き締めて唇を噛む山田に、上田も掛ける言葉を失って口篭もる。 「…まぁ、なんだ…自分が言うほどYouは愚かじゃないと、俺は思うぞ。」 何とも歯切れの悪いコメントだが、それが上田にとって精一杯の慰めの言葉だった。自分でも下手な慰めだと分かっていたからこそ、居た堪れない気持ちになっていた。 「…フフ、上田さん、なんて顔してるんですか。」 「…!」 上田の顔が不安に顔が曇っていたのは確かだったが、それをついさっきまで泣きそうな顔をしていた山田に指摘されるとは思っていなかった。上田が顔を上げると、山田は明るく笑っていた。 「You、謀ったな…!」 「にゃはははは!」 謀ったつもりはなかった。実際、さっきまでは自己嫌悪で暗く沈んだ気分だったのだから。だけど、上田の言葉でそれが一変したのだ。普段は憎まれ口ばかり叩いているのに、そんな上田が見せた不器用な優しさが、おかしくて笑った。嬉しくて笑った。 上田は、折角の心遣いを笑い飛ばされて少しショックを受けていたが、それでも山田が笑ったのだから良いと思えていた。 「上田さん、この子私の弟なんです。」 「そんなバレバレの嘘を吐くんじゃない。」 「フフ、嘘じゃないですよ。ついさっき出来た、可愛い私の弟…」 そう言って優しく笑う山田の顔を見て、上田は何も言わなくなった。そうか、と言って眩しそうに空を見上げた。 「今度は、いつ会えるんだろう…いつ話せるんだろう…」 「Youがマジシャンとして一流になれば、彼と共演することも出来るようになるんじゃないか?」 「上田さん、そんな簡単に言いますけど、マジシャンだって大変なんですから。」 「いやぁ、案外簡単かもしれないぞ。Youは指先で未来を変えられるんだ。素晴らしいことだと思わないか?」 眉ひとつ動かさずにそう言った上田を、山田は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で見つめていた。そうだろう?と同意を求めるように微笑んだ上田に、山田は堪えられなくなってついに吹き出した。 「…ぷはぁっはっはっは!う、上田、反則…!」 「な、何がおかしいんだ!」 「似合わないぞ、そんなクサイ台詞…駄目だ、笑い死ぬ…」 「おい、You!『素敵、感動したわ!』くらい言えないのか!」 「あははははは!か、感動した!」 「なんだ、その投げやりな言い方は!いいか、Youは情緒というものを全く理解していない!」 「あーっはっはっは!」 寒色に染まっていく空に、山田の笑い声と上田の怒鳴り声がいつまでも響いていた。 その日から山田は、いつかまた会える弟のために頑張っていこうと決めた。 と言っても、未だに貧乏マジシャンで、これまでと少しも変わらない生活を送っているけれど。 それでも、部屋に並んで飾られた梅がゆの缶を見る度に、今はどこに居るかも分からない可愛い弟のことを鮮明に思い出し、あの日の言葉を胸に刻み付けるのだ。 私は指先で奇跡を生める。 指先で未来を変えられるんだと。 |