切な系100のお題>016.白い花


 道中、立ち寄った茶屋で一休みしていると、可愛らしい稚児がにこにこと覇王丸に近付いてきた。
「俺に何か用かい?」
 そう問うが、その子はもじもじするだけで何も答えなかった。だけどとても笑顔が可愛くて、覇王丸は自分の隣に座らせて団子を振る舞ってやった。

 団子を美味しそうに食べる姿を微笑ましく見ていると、覇王丸の視線に気付いてまたにっこりと笑った。思わず顔が綻ぶ。
「おめぇ、なんてぇんだ?」
「おミヨ!」
「おミヨ、いっつもここいらで遊んでんのか?」
「うん!」
 覇王丸の問い掛けにもぽつりぽつりと答え始めた。やがて団子を2本食べ終えると、小さく手を合わせてお辞儀をし、
「お侍さん、ごちそうさま!」
 と覇王丸にもペコリとお礼をした。
「おう、お粗末さん」
「おじちゃん、お侍さんでしょ?」
「ああ、そうだぜ」
 覇王丸がそう言うと、おミヨは大きな瞳を輝かせた。
「おじちゃんみたいなお侍さん、初めて! ここを通るのって、いつも恐い顔してる人ばかりだもん!」
「ハハハ、そいつぁいい! おミヨは侍が嫌いか?」
「ううん、大好き! あのね、あたいの父ちゃんも都でお侍さんやってるんだって」
「父ちゃん、家に居ねえのか? そりゃ寂しいだろ」
 おミヨはこくりと頷いて、
「だからあたい、お侍さんが通ったら父ちゃんのことを聞いてるの」
「それで、俺の顔をじっと見てたのかい」
 おミヨはもう一度頷いた。覇王丸は少し困ったように頭をかいて、
「俺は流れの侍だから、都に知り合いは居ねぇんだ。悪いな」
 と、残念そうに言った。
「そうなんだ…ありがとう。おじちゃんみたいに答えてくれる人、ほとんど居ないの」
 近頃は位を鼻に掛けた武士が多く、位の低い者とは口を聞かない勘違いが溢れている。おミヨの言う『侍』も、そういった志の低い『名だけの侍』だろう。
 おミヨは赤い膝丈の着物の裾を少し擡げ、膝を示した。
「さっき髪が長いお侍さんに同じことを聞いたら、突き飛ばされちゃって…」
 見れば、小さな膝が擦りむけている。
「なんて奴だ、侍の風上にも置けねぇな!」
 激しい憤りを覚え、つい声を荒げた。覇王丸はそういった勘違いした武士が何より嫌いだった。特に、弱者に手を上げるようなものは。
「髪が薄紫で、すっごく恐い人だったの。あんなお侍さんも居るのね」
 覇王丸ははたとなった。その人相に覚えがあったからだ。

『幻十郎が、ここに居る…!』

 首を冷汗が伝うのが分かった。
「おミヨ、そいつぁどっちへ行った?」
「あっちの山へ向かったけど…おじちゃん、どうしたの?」
「あ、いや、何でもねぇんだ。中にゃあそんな奴も居るから気をつけろよ」
「うん!」
 宛てなく旅をしていた覇王丸にとって、この情報は重要なものだった。幻十郎を追うという目的が定まった覇王丸の腰は落ち着きをなくし、残っていた茶を一気に飲み干すと、すっくと立ち上がった。
「じゃあな、そろそろ行くとすらぁ!」
 幻十郎が向かったという山の方向を一点に見つめてそう言うと、おミヨも後を追って立ち上がる。
「あ、おじちゃん、ちょっと待ってて!」
 そう言い残すと、ぱたぱたと走って草むらに入っていった。一体何事かとしゃがみ込んで待っていると、程なくしておミヨは手に小さな白い花を握って戻ってきた。
「おじちゃん、今日はありがとう」
 目の前に差し出されたのは、おミヨの着物の端を破いた布で括られた小さな花束だった。それを覇王丸は有り難く受け取った。手に取った途端、野花の優しい香りがふわりと鼻をくすぐった。
「あっちの山にはこの花が沢山咲いたお花畑があるの。あたいだけしか知らない秘密の場所よ!」
「へえ…しかし、おめぇの秘密の場所を俺に教えていいのかい?」
「いいの! おじちゃん、あたいのお友達だもん!」
「そいつはすまねぇ。道中、その花畑にも立ち寄ることにすらぁ」
 おミヨの頭をぽんと撫でて、覇王丸は荷を背負いなおした。
「うん! またね、おじちゃん!」
「ああ、ありがとよ。それから…俺は覇王丸ってぇんだ。おじさんって歳でもねぇんだぞ」
 そう言うと、おミヨはくすくすと笑った。
 おミヨは覇王丸の姿が見えなくなるまで、大きく手を振って見送ってくれた。


 山道は獣道に気持ち人の手が入ったような所だった。しばらく歩いていると、非情にも道らしい道は消えてしまった。
『もう少し詳しく場所を聞いておくんだったかな。』
 手の中の花束を見つめながらそんなことを思っていると、視界の端に見覚えのある布切れがちらついたのに気付いた。花束を括っている切れ端と同じものが木に括り付けられて揺れているのだった。
「…承知!」
 嬉しそうに呟くと、その布に誘われるように林の奥へ入っていった。

 目印を辿っていくと、開けた場所に出た。ようやく辿り着いた達成感が押し寄せるより先に、その風景が目に飛び込んできて覇王丸は声を失った。
 そこは一面真っ白な花で覆われた、美しい花畑だった。
「…こいつぁすげぇ…秘密の場所ってこたぁあるな!」
 感嘆の声を上げると、後はあまりの素晴らしさに呆然と立ち尽くす他なかった。
 その見事な景色に圧倒され、すっかり気が緩んでいた。

 鞘が鳴った。それに気付いた時には、奴は既に刀を振りかぶっていた。
 素早く身を返して切っ先を避ける。刃はおミヨに貰った花束をさらっていった。花と茎が両断され、白い花びらがふわりと散る。

「ククク…こんな処で花摘みか? 覇王丸!」
 その声に、無残に散った花を見つめていた覇王丸の目が、すっと持ち上がった。
「…幻十郎…!」
 嫌悪にくっと歯を食いしばり、刀を抜く。
「まさかこのような処で会えるとはな…貴様には一時も休まる時はないのだ!」
「そうでもないぜ。さっきは可愛い娘と楽しい時間を過ごしたしな」
「…フン、女に現を抜かしたか。ならばその女を切り刻んでやろうか」
 覇王丸の顔が強張った。
「そんなことをすりゃあ、てめぇも細切れだぜ」
「それは好い。怒りに燃えて力を出し尽くして尚、俺に届かぬ無念の内に死ぬがいい!」
「調子に乗ると痛い目見るぜ!」
 覇王丸の草鞋が土を蹴った。瞬間、互いの刀が火花を散らして噛み合う。
「そう来なくてはつまらぬ!」
 心底から嬉しそうに声を上げると、幻十郎は刀に力を込める。
「おっと」
 途端に覇王丸は力を抜いて身を反らした。体勢を崩した幻十郎が前のめりに数歩ふらつく。体を起こし、振り返って覇王丸を睨み付ける。
「これ以上ここでやる気はねぇぜ」
 飄々と言う覇王丸に、幻十郎は口元を歪めた。
「貴様…」
「こんな場所でどたばたチャンバラやってたら、折角の花畑が踏み荒らされちまわぁ。どっか場所変えてなら受けて立つけどよ」
「花、だと?」
 幻十郎は不機嫌そうに復唱する。覇王丸の視線の先の花畑を一瞥し、また視線を覇王丸に戻す。
「おうよ。こんな見事な白い花をてめぇの血で染める程、罰当たりもねぇしな!」
 一際強い風が吹いて、覇王丸に同調するかのように花が揺れた。幻十郎はそれを見て、ちっと舌打ちをした。
「貴様の血の間違いじゃないのか? 怖気づいたのを花のせいにしやがって…殺る気が失せたわ!」
 幻十郎は吐き捨てるようにそう言うと、刀を納め、踵を返して山へと消えていった。覇王丸はその後ろ姿を唖然と見送り、気を削がれた気分で刀を納めた。
 足元に落ちていたおミヨの着物の切れ端を拾い上げ、
「…あいつもこの景色に胸打たれたのかね?」
 と笑うと、布切れを刀に括りつけてその場を後にした。







 覇王丸、大好きです。『白い花』と言えば『血で赤く染まる』というイメージが湧いたので(恐)、それを否定してくれる人を書こうと思いました。江戸っ子口調は難しいですな。
あと、ちょっとだけ小説のルールに沿って書き方を修正してみました。『!』や『?』の後はスペースを空ける、台詞終わりの句読点は省く…など。まあ、だからどうだって感じなんですけどね。昔の方がそういうルールは守ってたなあ…。
BACK