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切な系100のお題>055.嘘つき |
三魔騎士の最期はあっけないものだった。あの時クロノ達にソイソーがやられ、マヨネーはビネガーを見限って戦線離脱、姿を晦ました。その後ビネガーは自滅したと聞く。そうして三人は散り散りになり、『三魔騎士』の名は闇へと消えた。 その後マヨネーは各地を転々とする。仕える者をなくした今、一人で何をしようとは思わない。一番平和なのは人間のフリをして町で暮らしていくことだが、人間の中に混じって暮らすということが躊躇われて、しばらくの間は洞窟に居を構えて過ごしていた。 「たいくつなのヨネ〜。」 頬づえをついて口を尖らせる。毎日この薄暗い洞窟の中で暮らしていると、特に面白いことも起きない。館を出る際に連れてきた何人かのしもべを相手にさせてもつまらなさは募るばかりだ。 「散歩にいきたいのヨネ〜。ミントちゃん、ローリエちゃん、お供お願いするワネ〜。」 服をそれ相応に変え、つかつかと歩き出すマヨネーの後を、慌てて追い掛けていく2匹のコウモリ達は、洞窟を出るなり女性の姿に変わった。 洞窟は森の奥深くにある。もちろん人など滅多に通らない場所だ。だからマヨネーは、たまに退屈凌ぎに町へ降りたりしている。今日も近くの町のバザーを覗きに行く予定だった。森の中であんなものを発見しなければ。 お付きの魔物より先に飄々と森を突き進むマヨネー。町へ出るのがよっぽど楽しみのようだ。 「マヨネー様、そんなに急がれるとお怪我をなさいますよ。」 「あたいそんなにドジじゃないワヨ〜!」 更にスピードを上げようとした時、マヨネーの耳がピクッと動いた。ミントやローリエもそれに気付いたようだ。何か聞こえる。 「……か……るのか…?」 風にかき消されそうなほど微かだが、確かにそれは人の声だった。マヨネーは弾かれたように声のした方へ走り出した。慌ててその後を追うミントとローリエ。いくつかの木々をかき分け、見えたのは遠くに倒れている人影。 人間だ。若い、男。美男子である。普段ならば放って帰るのだが、どうやらマヨネーはこの男が気に入ったらしい。傍らに座り込んで、男の肩を叩く。 「ちょっと、こんなとこでなにしてるの?」 「…人…本当に人が…幻じゃない…よ…な…?」 眩しそうに目を細めて言う男に、 「あたいがオバケに見えるってワケ?あたいはれっきとした…ニンゲンヨ!」 それを聞いて、男は微かに笑って瞳を閉じた。 「ちょ、ちょっと!大丈夫!?」 予定は中止。とりあえずマヨネーの住む洞窟まで男を連れて来た。ベッドに寝かせて、酷く熱い額に濡れたタオルを置く。苦しそうに喘いでいる。 「傷だらけネ…」 頬の深い傷をタオルで押さえると、男はクッと歯を食いしばって眉を寄せた。それを見てマヨネーも痛みに顔を歪ませる。あまりに酷い傷だ。 それからマヨネーは、三日三晩寝ずの看病を続けた。その甲斐あって、男は四日目の朝に目を覚ました。見覚えのない景色に違和感を覚えながら、自分の胸に巻かれた包帯を指でなぞり、必死で今置かれている状況を理解しようとする。 「…俺は一体…」 ベッドから降りようとして、足元にかかった重みに気付く。そこにはピンク色の髪の少女がベッドに寄り掛かって寝息を立てていた。 「この子が俺を助けてくれたのか…?」 起こさないようにそっと足を除けようとして、ベッドが微かにきしんだ音にマヨネーはハッとなって目を覚ます。 「あっ、あたい寝てた…!?」 ぷるぷると顔を横に振って、眠気を覚まそうとする。そして目の前の異変に気付き、目を見張る。男が起き上がってこちらを見ている。 「君が助けてくれたのか?」 「起きたのネ!」 「ありがとう、君のお陰で傷も治ってきたよ。」 男が笑う。マヨネーはそれを見て顔を赤くさせる。実は男が寝ている間、ずっと想像していた。 どんな瞳の色なのだろう? どんな声で喋るのだろう? どんな顔で笑うのだろう? それらがいま、明かされた。何だかくすぐったい気分だ。 吸い込まれそうな、深い藍色の瞳。 思ったよりも低く、少し掠れた声。 春風のように爽やかで、優しい笑顔。 マヨネーは胸が高鳴っているのを確かに感じていた。だが、相手が人間であることが、自分を思い留まらせる。この男に深入りしてはいけないと、鼓動でシグナルを放つ。 「あ…あんなところで何をしてたの?」 「俺はガルディアの兵士なんだけど、どうやらこの森に邪悪な気を感じるということで、討伐に出たんだ。」 「邪悪な…気?」 間違いなく自分のことであった。これでこの男が自分と敵対した立場であることがハッキリした。そうと分かれば、以前ならばさっぱりと気持ちを切り替えることが出来たのに、今はどうだろう。複雑な心境だ。霧が掛かったような、嫌な気持ち。 「その傷はその魔物にやられたの?」 「いや、きっとあれはそいつの手下だよ。邪悪な気の持ち主の力は強大だ。こんなもんじゃないだろう。」 もしそれが当たっているなら、この男を襲ったのはマヨネーのしもべだろう。この男をここまで傷つけたことに怒りを覚えたが、洞窟へ人間を近づかせるなと命令した自分も悪かった。怪我の原因が自分にあることに気付いて、男に対して申し訳なさが込み上げてきた。 男はそんなことは知る由もない。マヨネーの肩を掴み、 「ここは危険だ。どんな理由でここで暮らしているかは知らないけど…もし良かったらガルディアへ来ないか?王は心の広いお方だ。君が俺の恩人だと言えば、きっと歓迎してくれるよ。」 「そ、そんなこと、出来るわけないワヨ…」 「どうして?何か…理由があるのか?」 理由など明白だ。邪悪な気の主は自分なのだから。だけどそれは言えない。言えばこの男は王の命に従い、マヨネーを殺そうとするだろう。たかが人間一人、どうってことはない。マヨネーの手によれば、蚊より簡単に捻ることが出来るだろう。出来るけれど、出来ない。マヨネーにはそれが出来ない。 この藍色の瞳に見つめられると、どうにかなってしまいそうだ。夜の闇のような深くて静かな瞳。しばらく無言で見つめ合うが、ハッと我に返ってマヨネーは男に背を向ける。 「あたい…人間が好きじゃないのヨネ〜。」 本当は人間は嫌いではない。自分の美意識に沿うものならば、人間だろうが魔族だろうが魔物だろうが好きなものは好きなのだし。だが、魔族の血がその気持ちを揺り動かして定めさせない。 男はマヨネーの言葉を聞いて安堵したように笑って、 「平気だよ、城の人はみんな良い人だよ。」 「そんなの関係ないワヨ、あたいは人間全部が嫌いなのヨ!」 「…俺も?」 「エッ…!」 マヨネーが驚いて振り向くと、男がマヨネーの手首を掴んだ。まだ熱が下がっていないのか、男の手はひどく熱く、振り解こうにもその力には敵わない。胸が疼く。 「じゃあ、どうして俺を助けてくれたんだ?本当に人間が嫌いなら、助けてくれはしないだろう?君は嘘をついている。どうしてかは分からないけど…自分に嘘をついている。」 「う、嘘なんてついてないワヨ!アンタなんかに何が分かるっていうのヨ〜ッ!!!」 気が付くと叫んでいた。自分の中の魔族の血が、人間を遠ざけるように。男は何も言わずに厳しい顔でマヨネーを睨んでいた。負けじとマヨネーも睨み返すと、男は目を伏せて言った。 「ラムズだ。『アンタ』じゃない。」 「…エ…?」 「それと…」 ラムズは二の句を継ぐ前に、大きなため息をついて、 「ごめん。俺、大人げなかった。込み入ったことを聞いて…辛い事情があるかもしれないのに、君の気持ちも考えずに…本当にごめん。ガルディアのことは…無理強いをするつもりはないから。」 ちくんと胸が痛んだ。本当は自分が悪いのに。自分が本当のことを言わなくて、嘘に嘘を塗り重ねていって、首が絞まって苦しいのは自分のせいなだけなのに。だけど、本当のことを言えば、ラムズはマヨネーを殺さなければならない。マヨネーはラムズを殺さなければならない。それだけは嫌だった。それが辛い事情なら、そういうことにして黙っていればいいのだろうか? 「君の名は?」 「…あたいは…マヨネー。」 「マヨネー…可愛い名前だね。君にピッタリだ。」 にこっと笑って言うラムズに、マヨネーはまた顔を赤くさせて俯く。 「マヨネー、傷が癒えるまでしばらく厄介になってもいいかな?」 「別にいいワヨ、あたいも退屈してたところだし…話し相手になってくれるならネ〜。」 この時、やっとマヨネーは笑うことが出来た。 それから数日。少なからずラムズはマヨネーに好意を抱くようになっていたし、マヨネーもまた、ラムズのことを想う気持ちを育ませていった。 「ラムズは兵士の中では強い方だったの?」 「俺はただの平兵士だよ。大して強くもないし…」 「ま、そうじゃなきゃあんなところでやられてないワヨネ〜。」 「…はは、情けない話、ホントにそうだよ。」 力なく苦笑いをして、視線を落とす。マヨネーは言い過ぎたかと思って言葉を探すが、それよりも先にラムズが続ける。 「俺は今回が始めての実戦だったんだけど…やっぱり手合いの稽古のようにはいかないね。相手は本気で殺そうとするわけだし、俺も…相手を殺さなきゃならない。」 「……」 憂えた顔さえ愛しくて、マヨネーは伏せられた長い睫毛を夢中で見つめていた。正直、途中からは上の空だったかもしれない。 「…マヨネーは、戦闘なんて経験ないだろ?」 「エッ、あたいは――…」 元三魔騎士のマヨネーに聞くのが間違っている質問だ。マヨネーは数え切れぬほどの命を奪ってきた。もちろん、ラムズなどとは比べ物にならないほどの戦闘経験はある。しかしそんなことは言えるはずもない。マヨネーが口篭もっていると、ラムズはフフッと笑って、 「ないよな、マヨネーは普通の女の子なんだし。」 「…そ、そ〜ヨ!当たり前じゃない!」 胸が痛い。いつまで嘘をつき続ければいいのだろう。ラムズのことを想うならば、つき通さなくてはならない嘘。どちらを選んでも辛い、ジレンマ。小さな肩を更に縮こまらせて、ソワソワ体を揺らすマヨネー。元来、嘘は苦手なタチで、いつも喋りたくて仕方のない衝動に駆られる。しかし、こればかりは言ってはいけないと思うからこそ、ここまで貫き通せてきたのだ。 「…なぁ、マヨネー。」 「…な、なにヨ。」 「俺、マヨネーのこと好きなんだ。」 「…!」 あまりに唐突で淡白な告白。心臓が破裂するかと思った。 照れて顔を真っ赤にさせる二人。 ラムズの気持ちに気付いていないわけではなかった。だけど、実際に面と向かって言われると、そのリアリティに驚き、たじろぐ。もちろん嬉しかった。しかし同時に、心が締め付けられるように痛むのだった。自分が魔族であることを知らないラムズに対しての罪悪感。決して結ばれることのない宿命への失望。 「ごめん、いきなりこんなこと言って。どうかしてるよ、俺。」 「…あ、あたい…」 喉まで出てきていた言葉を飲み込んだ。言えない。恐くて言えない。 「あたいは…き、嫌いじゃない…ワヨ。」 それが精一杯の自己表現。これ以上は言えない。言えば期待させてしまう。相手も、自分も。多くを求めてしまう。そうなれば、もう嘘はつき通せなくなる。今の距離が紙一重。少しでも越えると、壊れてふたりとも闇へ落ちてしまう。 それでもラムズは心から嬉しそうに笑った。 「よかった。嫌いだなんて言われたら、俺、死んじゃうよ。」 安堵のため息をついて、マヨネーの頭を撫でる。 「マヨネーが俺以外の人間も『嫌いじゃない』って言えるようになったら、ガルディアで一緒に暮らそう。」 「……ウン……」 嘘。出来るはずもないことを知っていて。だけどラムズの笑顔を見ていたら、そんなことは言えなかった。苦しい。苦しい。嘘をつくのがこんなに辛いこととは思わなかった。言いたいのに言いたくない。言えないのに言いたい。 好きだから、こそ。 ラムズの傷は一週間もすると完治した。 「マヨネーのお陰だよ。世話になったね。明日の朝にはガルディアへ向かうよ。」 「…そう…」 悲しそうに目を伏せるマヨネーの肩を抱き寄せ、ラムズは囁くように言う。 「一緒に…来ないか?」 「行きたいけど…行けないワ。」 「…そっか。」 思ったよりもあっさりと諦めて、ラムズは抱いていた肩を離した。 「でも、行きたいって初めて言ってくれた。嬉しいよ。」 「…ラムズ…」 切ない。本当は引き止めたくて、本当は好きだと言いたくて。諦めなくてはならないことは分かっているのに。そんな未練を断ち切るかのように唇を血が滲むほど噛んで耐える。明日になればもう、こんな思いはしなくて済む。そう言い聞かせて。 その日の晩は星がキレイな夜だった。マヨネーは久しぶりに夜の散歩をしていた。冷えた風が鼻を通る。寒さに少し肩を竦めて、星のよく見える丘まで歩くことにした。 「一人で歩くと危ないだろう?」 後から聞き慣れた声。振り向くとそこにはラムズが立っていた。 「風邪引くよ。」 そう言って、自分のマントをマヨネーにかける。そんな扱いがマヨネーは嬉しくて、フフッと笑ってラムズの前を歩き始めた。 「どこまで行くんだ?」 「星を見たくて。いいところがあるのヨネ〜。」 鼻歌混じりに歩くマヨネーの後を、ラムズは黙ってついていく。しばらく歩いていると、見覚えのある場所に出た。 「ラムズはここに倒れてたのヨネ〜。」 「うん…。ここからあの洞窟まで運んでくれたのか?」 「そうヨ。重たかったんだから〜!」 「…ごめん。」 「冗談ヨ。」 マヨネーはそう言って、近くの岩に腰掛けて空を見上げた。数え切れない星が、落ちてきそうな深い黒に散りばめられている。 「ねえ、ラムズはお城に帰っても、また討伐に出なきゃならないんでショ?」 「…そうだね。」 「早く魔物なんて倒しちゃって、一休みしたいってとこかしらネ〜?」 「…俺は…戦いたくないよ。」 「な〜に弱気なこと言ってるんだか!」 ケラケラ笑うマヨネーだが、ラムズは空を仰いだまま何も言わなくなった。不審に思って、マヨネーはラムズの方を向き直る。固く握られた拳が、震えていた。 「どうしたっていうのヨ…?」 「…騎士団長は間違ってる。」 きゅっと唇を噛んで、無念さを押し殺すように目を瞑る。 「いくら邪悪な気が感じられるからと言って、そいつが良からぬことをしているとは限らないじゃないか。この森に入る人間なんてそういない。何も被害は出ていない。」 マヨネーは呆気にとられて、口をあんぐりと開けてそれを聞いていた。これまで自分たちを退治にしに来た者達は、自分たちが間違っていないと頑なに信じていた者ばかりだった。全員返り討ちにしてやったのは言うまでもないが。 だが驚いたことに、ラムズはその者達とは違うらしい。 「で、でもラムズは実際に魔物に大怪我を負わされたじゃない!」 つい、人間の肩を持つ発言をしてしまったのは、気が動転していたから。 「俺達がこの森に踏み入れなければよかったんだ。余計なことをするから、こんなことになっただけだ…悪いのは俺達だよ…」 「…な…」 確かに、マヨネー達はあちらがやってこなければ、わざわざ出向いてまで危害を与えるつもりは更々なかった。それなのに、向こうがテリトリーを荒らしたお陰で、そうするを得ない状況になってしまっただけのことで。 「……」 唇を噛んで薄っすら涙を浮かべたラムズに、マヨネーの胸がまた痛む。言ってしまえば。いまなら言ってもいい気がする。例え軽蔑されてもいい。いま言わなければ後悔するような気がする。嫌われるのが恐いわけではなくて、ラムズをこの手にかけなければならないことが恐ろしかっただけだった。愛する者を手にかけなくてはならないことに比べれば、嫌われることなど痛くも苦しくもない。相手が生きてさえいれば、それだけでいい。 言わなくては。本当のことを。全てを。 強く吹いた一筋の風が、迷っていたマヨネーの背を押した。 「あたい…邪悪な気の主って…あたい、だと思うのヨネ…」 震えるような声で言ったその言葉に、ラムズは俯いていた顔を上げた。 「…マヨネーが…?」 「だって実は、あたい…魔族で…元は魔王様の側近、三魔騎士の空魔士マヨネー…で。」 また、一筋の風が吹いた。辺りに木々を揺らす音が響く。ふたりは無言で見つめ合う。 「空魔士マヨネー。いくら俺でも知ってるよ…でも、まさか君が…」 「本当は、こんなに嘘をついているつもりはなかったのヨ!でも…でも…!」 自分にもついた、嘘。 本当は…嫌われるのも恐い。 「どうして言ってくれなかったんだ?」 「だって、ラムズはあたいを殺さなきゃならないのヨ!?そうなったら…あたいはラムズを…」 最後まで言うより先に、涙が頬を伝った。 「そんなわけないだろう?俺が心から愛してる人を殺せるわけない。」 「…!」 マヨネーの頬を流れる涙を唇で拭い、ラムズは強くマヨネーを抱き締めた。 「魔族とか、どうだっていいよ。俺のこと助けてくれたのは間違いなくマヨネーなんだから。俺はそんなマヨネーが好きなんだから。」 「ラム…ズ…!」 箍が外れたようにラムズに抱きつき、わんわんと泣くマヨネー。そんなマヨネーのことを、優しく受け止めるラムズ。 「…あた…いも…あたいも…ラムズ…好き…ヨ…!」 泣きじゃくりながら言うマヨネーに、ラムズは何度も頷いた。 もう嘘はつかなくていい。恐いものはなにもない。 それから泣き疲れたマヨネーは、夢うつつでもうひとつの重大な嘘を告白した気がするが、その時のことはあまり覚えていない。ただ、ラムズが驚いて目を白黒させていたような、そんなおぼろげな記憶しかない。 次の日にラムズにその時のことを聞いてもはぐらかされ、 「俺はマヨネーが好きだから、それでいいんだよ。」 と言われた。マヨネーも、それならそれでいいと思った。 このふたりはそれからひっそりと暮らすが、未来に子孫が残っていないのは…言うまでもないかもしれない。 |