![]() |
切な系100のお題>081.初恋 |
数年前…まだレディの髪が腰まであった頃。 彼女はこの頃からじゃじゃ馬・ワガママで、父親やお付きの人間を悩ませていた。 気に入らない服を用意されればナイフで八つに裂き、嫌いな食べ物を出されれば一切食事を取らずに部屋へ戻り、館の柱を格闘の練習と称して叩き折り、黙って館を抜け出すことなど頻繁にあった。 ただ、その頃はまだ子供だからと許されていた。彼女が離れへ幽閉されるのは、もう少し先の話である。 その日もまたレディお得意のワガママを発揮していた。 「一体何が気に入らないんじゃ?」 家庭教師兼庭師のヨシオが問う。レディは頬を膨らませて外方を向いたまま何も答えない。ため息をついてヨシオは窓の外を見やった。レディが幼い頃からずっと傍に居たヨシオにとって、それは慣れたものだった。こういう場合の対処法はひたすら…喋るのみ。 「お嬢様。そのお洋服は最高級のシルクを使った大変高価なドレスなのですぞ。お嬢様のためにとお父様が自らお選びになりましたのに…」 「そんなに着たいのならあげるわ。」 ガタンと椅子を立ち上がる音に、ヨシオは怯んだ。説教中に逃げられてなるものかと慌てて振り向くが、目の前に広がった真っ白な布に視界を阻まれる。それはさっきまでレディが袖を通していたドレスだった。 「お、お嬢様!」 ドレスに視界を遮られてもがくヨシオを尻目に、レディは下着姿で部屋を後にした。 ――何よ、何も分かってないくせに! ――あたしは洋服が欲しいんじゃないわ。 腹を立てて、足早に廊下を歩く。 レディが本当に欲しいものはプレゼントしてもらえない。 それは自由。それは刺激。 それらは絶対に手に入れることが出来ないのに、それ以外のものをいくら貰っても虚しいだけだ。 「お嬢様!?」 背後から素っ頓狂な声。しまった、とレディは肩を竦めた。 「そんなはしたない恰好で…ちゃんと服を着て下さいよ!」 「コックス…」 料理人兼用心棒のコックス。彼もヨシオと同じくずっとレディの傍に居た。10ばかりしか変わらない年のお陰で、レディが幼い頃はコックスもまた少年ではあったが。 自分のエプロンを外してレディの胸元を隠すコックスを見て、レディはフフッと笑った。館を抜け出してお小遣いで買ったのに、父親に見付かって没収されてしまったレザードレスの存在を思い出したのだ。 「服は着るわ。だからあたしのレザードレス持ってきて頂戴。」 「…あれはご主人に燃されましたよ。」 「嘘ッ!?」 「本当です。厨房に来て燃していったのを見ましたから、間違いありません。」 煙を立てて燃えていくお気に入りのレザードレスの絵が、レディの頭に描かれた。めらめら燃えるドレスを思うと、レディのはらわたも煮えくり返ってきた。 「あのっ…クソオヤジ!!」 「お嬢様!」 握り拳を作って父親の元へ駆けて行こうとするのを、必死で制止するコックス。このじゃじゃ馬娘が怒った時に何をするかは大体想像がつくので、なんとしても阻止しなければならない。レディはコックスに腕を掴まれると、ピタッと立ち止まって振り向く。 「…コックスが弁償してくれるの?」 「はい?…ええぇッ!?」 「冗談よ。あんたの安月給には期待してないわ。」 「…給料上げてもらえませんかね…」 思ったより落ち込んでいる様子のコックスをじっと見つめて、レディはにっこり笑った。 「ねえ、街までドレス買いに付き合ってくれない?」 「いけません!館から出られる時はご主人様も一緒でなくては…」 「あ〜ら、そう。じゃ、あたし一人で出掛けて誘拐でもされてこようかな〜。」 「えぇ!?」 そう言って小悪魔のような笑みを浮かべ、踵を返す彼女の後をコックスは慌てて追いかける。 「ま、待って下さい〜!」 「街へは何を着て行こうかな?ふふ、これってデートみたいじゃない?」 「……」 軽やかに歩きながら愉快そうに言うレディの後を、コックスは困った顔で追い続ける。 と、突然レディが足を止めた。 「お嬢様。」 目の前に立ちはだかっていたのは、ドレスを抱えたヨシオであった。目元にさっきまではなかった痣があるのは、転びでもしたのだろうか。チッと軽く舌打ちしたレディは、コックスの後ろに隠れてヨシオに向かって舌を出す。 「どちらへお出かけの予定でしたのかな?」 「街よ。いいじゃない、ちょっとお買い物に行くだけ。何も危ないことはしないわ。」 「いけませんな。ご主人様にも承諾を得ませんと。」 「あの人がいいって言うわけないでしょ!ね、お願い!コックスも一緒に行くからぁ」 いきなり引き合いに出されたコックスは慌てて首を横に振る。 「い、行きませんよ!」 「じゃああたしが暴漢に襲われてもいいってわけーぇ!?」 「ううう…」 困り果ててその場に座り込んだコックスを、レディは頬を膨らませて見下ろす。 「お嬢様!この期に及んでコックスまで困らせる気ですか!」 「コックスは困ってないわよ。何てったって強いんだから!」 「わ、私が困っているのはそういうことじゃありません!」 レディはぷいと横を向いて話を流す。それを見て、コックスはため息をついた。ヨシオはやれやれ、と一声置いて、 「コックス。おぬしももっと厳しく言っていいのですぞ。お嬢様を甘やかしてはなりませぬ。」 「…はあ、厳しくしているつもりなのですが…」 「コックスの方がヨシオなんかよりはず〜〜っと優しいわ♪」 コックスの腕に抱きついて、レディはヨシオにもう一度舌を出した。コックスは乾いた笑いを浮かべて、目でヨシオに助けを求める。ヨシオは眉間に深く刻まれたしわを正して、深呼吸をするように息を深く吐き出した。 「分かりました。とりあえずお嬢様。このドレスをお召しになってください。」 「それはヨシオが着たいって言うからあげたんじゃないの。」 けろりと言うレディ。コックスは目をまんまるくさせてヨシオのことを見ている。ヨシオはなんだか気恥ずかしくなってつい声を荒げて否定する。 「誰が着たいなんて言いましたかッ!」 「や〜ね、冗談でしょ。冗談。」 けらけら笑うレディに、さすがのヨシオも我慢の限界が訪れていた。こういう場合、ヨシオがどうなるかと言うと… 「コックス!後は頼みましたぞ!」 「ええっ!?」 三十六計逃げるに如かず、コックスにドレスを押し付けて行ってしまった。コックスがしばしドレスを手に呆然としていると、肩に顎を乗せてレディが言う。 「良かったねー、コックスにくれるって。」 「…ち、違います!お嬢様、お願いですから服だけは着て下さい。」 「じゃあ、ドレス買いに付いて来てくれる?」 「…う〜…」 「う〜?」 「……」 ついに黙り込んで俯いてしまった。レディはしばらくコックスの顔を見つめて何事か冷やかしていたが、それでも何も言わないコックスに気付き、ふいと横を向いて黙る。 自分が困らせていることに気付いたからである。 「…」 ごめんね。 そう言って街へ行くのを止めれば、コックスも悩まなくて済むのに。それが言えない。レディだってコックスと街へ行きたいのだ。楽しみで楽しみで仕方なくて、どうにか丸め込めて付いて来てもらおうとしていたのに。そのせいでコックスが悩ませているのが本末転倒のような気がしてきた。 「…コックス…」 「せっかく可愛いのに…」 「え?」 コックスはそう言ってレディにドレスを差し出した。レディは少し頬を赤らめて、素直にそれを受け取る。 「ほ、ホントに?」 「ええ。」 にっこり笑って言うコックスに、レディも照れた笑いを返して頷いた。 「じゃあ…いいや。コレで。」 そう言ってはにかむレディは、先程までとは打って変わって本当に可愛らしかった。 白いドレスを纏うと、裾を持ち上げて軽く礼をして、 「ごめんね、コックス。しばらく街はいいや。」 「しばらく、ですか?」 苦笑いを浮かべるコックスに、レディはにっこり笑って、 「うん。しばらく、ね。」 と強調してドレスを翻して駆けていった。 そして現在。 うすら汗ばむ気候の夜、デスランド島の宿屋にてレディ一行は休息を取っていた。が、たったひとつの扇風機が回っているだけでは間に合わないこの暑さの中、レディとコックスは寝苦しさと戦っていた。ちなみに、ヨシオは平気で寝息を立てている。年の功だろうか。寝苦しさを紛らわすためにコックスと話していると、あの時の話になった。レディは、コックスがその頃のことを覚えていることが、何だか嬉しくもあり気恥ずかしくもあった。 「街へ行かないと言ったまでは良かったんですけどね…」 「え?それからなにかあったっけ?」 レディはきょとんとして聞く。コックスはまぶたの裏にその頃のことが焼きついているかのように愉快そうに笑って、 「今度はあれからしばらくの間、『このドレスしか着ない!』と騒ぎだして…大変だったんですよ。」 「あ〜、ちょっと覚えてるかも。」 えへへ、と誤魔化してレディは布団に顔を埋めた。 「お嬢様。どうしてあの時、あんなにあっさりと私の言うことを聞いてくれたんですか?」 「…え〜?分からないの?」 「いえ、まあ…心当たりはあるかも…ですが。」 苦笑いをするコックスを見て、レディは目を細める。 「あたしの初恋の相手はコックスだったのよ。」 それを聞いてコックスは頷いて、困ったように…でも優しく笑った。レディはその顔を見て、安心したように微笑んだ。 「それからしばらくして、あたしがストライクゾーンから100kmくらい離れてることが分かって、ショックでしばらくコックスの作るご飯食べられなくなっちゃったんだから。まーさーかオカマだなんて思わないわよ。」 「…面目ないです。」 「別に謝ることじゃないでしょ。それにあたし…コックスは今も大好きよ。」 小さな声でそう言ったものの、恥ずかしさに耐えられなくなって頭から布団を被るレディに、コックスは微笑んで、 「私も、お嬢様のことは大好きですよ。」 と優しく答えた。 「でもさ、あの時の『可愛いのに』っていうのは、あたしのことじゃなくてただ単に『服が可愛い』ってことだったんでしょ?」 「そんなことないですよ。」 「うそだぁ、あの時、ホントに着てみたかったのはコックスだったんじゃない?」 「…う〜〜〜ん…?」 「ま、いいわ。早く寝ないと、明日もたくさん冒険するんだから!」 「そうですね。」 部屋の電気を消そうとした時、いびきをかいて安眠しているヨシオの顔が目に入った。 「ヨシオもよくこんな中で平気で寝てられるわね…感覚おかしいんじゃないかしら。」 電気を消すと辺りは思ったよりも真っ暗になった。 「おやすみ、コックス。」 「おやすみなさい、お嬢様。」 虫の鳴き声が聞こえる。 大好きな人達が横で寝ていると思えば、こんな寝苦しい夜も悪くないものだと、レディは少しだけ思った。 |